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海外諸国で性的マイノリティ(LGBTQ)への理解が進む中、日本でも同○性愛者・性的マイノリティ等に対する配慮が見られるようになりましたが、まだまだ理解・対応が不足しているという声も聞かれます。

しかし、世界に目を向けると、未だに同○性愛に対してネガティブな反応を示す国も多く、LGBTであること・同○性間の性行為が犯罪となっている国もあります。

意外かもしれませんが、日本では同○性愛について海外ほど厳しい差別があった時代は少なく、主に男性同士の同○性愛が公然と認められていた時代もあったのです。

この記事では、実は海外よりもおおらかだったかもしれない、日本の同○性愛の歴史について解説します。

日本で古くから嗜まれたとされる「男色(なんしょく)」

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歴史に詳しい方はご存じかもしれませんが、日本における同○性愛の歴史を語る上で、決して外せないのが「男色(なんしょく)」についてです。

男色とは、男性同士の同○性愛・または性行為を表す言葉で、日本の古典を紐解くと、様々な書籍に男色についての記載があります。

日本の歴史の中で、男色が流行り始めた時期として考えられる時代の一つに、仏教が広まった奈良・平安時代があげられます。

本来、仏教を信仰する僧侶にとって性行為はタブーであり、異性・同○性を問わず禁止されています。

しかし、どちらかというと女性との性行為を嫌う性質が強かったことから、男色を許す風潮が生まれ、やがて文化として発展します。

中でも、特徴的な文化の一つが「稚児灌頂(ちごかんじょう)」です。

稚児とは、仏教の寺院で雑用をこなす子供のことをいい、稚児たちは「教育の一環」または「世話係」として寺院に入門します。

禁欲的な寺院の環境の中で、次第に僧侶たちは、入門した稚児と関係を持つことを考えるようになります。

そこで、本来は徳の高い僧侶・聖人の洗礼に近い意味合いがある「灌頂(かんじょう)」の儀式を稚児に行い、稚児を『観音菩薩の化身として神格化する』というウルトラCを考案します。

こうして僧侶たちは、灌頂の儀式を受けた稚児たちの性○交(男色)を正当化します。

現代人から見れば非常に奇妙な考え方ですが、古代の日本人にとって、男色はそれだけ重要な文化だったのかもしれません。

武士の間では「衆道(しゅどう)」が浸透

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鎌倉・室町幕府など、日本において武士の勢いが増していくと、やがて武士は貴族・僧侶との交流の中で、男色の概念を知ります。

そこから、武士特有の男色文化である「衆道(しゅどう)」が生まれました。

衆道におけるカップリングは、主君と小姓(将軍のそばで仕える者)の間で成立し、その様子はさながら現代の男女間における純愛のようでした。

肉体的な結びつきよりも、精神的な結びつきを重視したとされており、戦も多く情勢が安定しない状況の中、互いの上下関係をハッキリさせる意味でも重要だったのでしょう。

もっとも、この頃は多くの武士が妻子を持っていたため、女性が周囲にいない環境の中、男性を性的対象とみなすのは致し方なかったのかもしれません。

特に、世の中が大きく乱れていた戦国時代は、名だたる戦国武将も衆道に熱をあげていました。

織田信長・前田利家・武田信玄・伊達政宗など、様々な戦国武将が男色を楽しんでいた時代だったのです。

なお、日本で最初に天下統一に成功した豊臣秀吉は、男色に興味がなかった武将という説が濃厚です。

江戸時代から次第に暗雲が立ち込める

庶民・町人の間にも同○性愛が流行したのは、江戸時代からといわれています。

この頃は、いわゆる男○娼を置く「陰間茶屋」のような店が繁盛するようになり、歌舞伎役者が舞台を終えた後、酒宴で売春に及ぶこともあったようです。

ここまで男色が流行している状況につき、懸念していた人もいなかったわけではありません。

例えば、日本で有名なキリスト教の宣教師であるフランシスコ・ザビエルは、キリスト教で認められない男色の罪を説明することが難しいと嘆いていました。

僧侶・武士といった人々が男色を堂々と行っている状態ですから、誰かから「庶民・町人は男色を止めろ」と言われても、止まらないのは仕方ない話だったのかもしれません。

この状況に暗雲が差し込めるのは、江戸時代中期以降からです。

男色が盛んになる中、美少年をめぐるトラブルが絶えなかったことから、江戸幕府は「風紀を乱す」として男色を取り締まってしまいました。

明治維新後は、海外の列強と肩を並べるため、日本でも西欧の知識が積極的に取り入れられるようになります。

やがて、同○性愛者を罪悪視する価値観までも導入してしまったため、とうとう同○性間の性交渉を禁じる条例が定められるまでに至ります。

その後、同○性愛が厳しい差別にさらされる時代は、第二次世界大戦の終戦まで続きます。

戦後から現代の傾向

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戦後、日本は「日本国憲法」の下で新たなスタートを切ることになり、言論の自由が認められたことなどを契機に、今なお人気の新宿二丁目などでゲ○イバーが数多く誕生しています。

小説家・歌手などが同○性愛を告白するなど、一般的な恋愛の形として、同○性愛は再認知され始めます。

1970年代には、日本初のレズビアンサークルや、国内初のゲ○イ団体などが結成されています。

2000年代に入ると、同○性愛者の人権を明記した条例・同○性パートナーシップ証明書の発行を含む条例などが施行される自治体も見られるようになりました。

いわゆる「オネエタレント」など、日本では同○性愛者がテレビなどのメディアに露出するケースも比較的多く、自分から同○性愛者だと自称して芸能活動を行っても、日本では法的に非難されることはありません。

ゲ○イ同士の同○性愛を題材にしたドラマ・小説などを楽しむ女性「腐女子」の存在も、日本の同○性愛者に対する寛容性を示す一つの傾向と言えるかもしれません。

まとめ

日本の同○性愛の歴史をまとめると、主に男性同士の同○性愛(男色)が、様々な文献で紹介されています。

同○性愛に関しては、一部の時代を除き、基本的に寛容な時代が長く続いたものと推察されます。

現代においては、アダルトグッズ・ラブグッズの進化によって、さらに同○性愛における楽しみ方の幅が広がってきています。

将来の日本では、男女・男性同○士・女性同○士の恋愛という枠組みにとらわれない、新しい愛のカタチが生まれているかもしれませんね。