恋にもセックスにも疎い田舎娘が気づけば伝説のSMバーでⅯ嬢になっている件
「キミ、Ⅿでしょ」
そう言ったのは中学2年から憧れ続けた9歳年上の男性で、当時の私は21歳。女子高出身で恋愛に疎かったのもあり、20歳を越えてやっと処女喪失したばかりの頃だった。
本来なら遠くから見つめるだけの高嶺の花と仲良くなれたことはまさに夢のような話。7年もの淡い片思いが実ったときは、「もうどうなってもいい」とさえ思うほど浮かれまくっていた。
ただ、ついこの間まで処女だった21歳がモテ男とホテルに行っても気の利いた愛撫なんてできない。ベッドの上で途方に暮れたのを今でも鮮明に覚えているけれど、そのとき私は妙な違和感も覚えていた。「この人は普通じゃない」という何ともいえない気まずさ。たとえ自分がそれなりにセックスを経験していたとしても、彼とは対等に渡り合えないと思ったのだ。
そう、彼は筋金入りのМ男でハードSMでしか感じない人だった。
……そんなオチないだろ、と。青春をかけて追いかけた憧れの人がドⅯってなんだよ。
自分で自分に突っ込んだものの、処女に毛が生えたような小娘に彼の相手は到底できるわけがなく。うろたえる田舎娘の腕枕に甘えながら、彼は最初から期待していなかったという風に苦笑した。
そして、身に染み付いた感度の良いSMアンテナで鋭く察したのだ。
「キミ、Ⅿでしょ」と。
それから4年後、私はOLをしながら六本木のSMバー『Jail』で週末を過ごしていた。風俗としてのSMクラブとは違い、SMバーはあくまで飲食店で個性的な嗜好を持つ人たちの社交場。“オモテの世界”では気楽に話せないおしゃべりを楽しむ場だった。
そこに私は週末だけM嬢として働いていた。9歳上の憧れの君が言ったとおりにⅯなのか、それともSなのか、あるいはⅯでもSでもないのか。自分の性癖を知りたくて自らアブノーマルな世界に足を踏み入れたのだった。
当時、『六本木Jail』にはバラエティに富んだメンツが集まっていて、「初めまして」の挨拶代わりに互いの性癖を語り合うのだけど、それが「マジで言ってるの?」と怯む内容ばかり。想像の斜め上をいく人たちばかりで、最初はとんでもないところに来てしまったと後悔したくらい。
20代半ばを迎えても、私は相変わらず恋愛とセックスに疎く実体験に乏しかった。過激な作風で有名なBL作家の西条公威氏(もはやBLの括りで語っていいのかは謎)を読んだりはしたものの、リアルな経験は増えず大して興味もなく……。
そんなわけで、アブノーマルな性癖が単に奇をてらうだけでなく、愛情を伴うものだと理解するまで少し時間がかかってしまった。
水に沈められて苦しむのが気持ち良いⅯ嬢、男性の股間をヒールでガチ蹴りするのが好きな女王様、拘束されてケーキを全身に塗りたくられることで勃〇する常連のイケメンハイスぺ……。
スタッフもお客も“オモテの世界”では受け入れられがたい嗜好の持ち主。誰もが「ここでなら素の自分でいられる」とリラックスしつつ、異様な興奮にかき立てられていた。
特に圧倒的な魅力を放っていたのは、浅葱アゲハさん。自吊りパフォーマーの草分け的存在であるアゲハさんは、姉妹店の「東京Jail」で素人離れしたショーを披露していた。
お人形さんに命を吹き込んだような可愛らしさは繊細で耽美で非現実的。М嬢という言葉だけでは到底語れない人だった。折れそうなくらいに細くコルセットを締め、自分のパフォーマンスだけでなく、ショーのコンセプトや音楽からすべてを創り出す彼女は心の底から楽しいと瞳を輝かせていた。
アゲハさんにとって、SMとは性行為でもなければエロでもなかったのかもしれない。自分を表現する手段のひとつであり、あの世界でしか表せないものを持っていたのだろう。
眩しいスポットライトを浴びるアゲハさんを見ながら、私はSMワールドの深淵を覗き込んだ気がした。
そして、性癖は極悪でも女王様は基本的にどの人もやさしく面倒見が良かった。なかでも業界歴が長い色白のお姐さまは、貴女は知らないことが多そうと私にこう教えてくれた。
「世の中にはSとⅯとエロがいるの」
エロとⅯを勘違いする男性は少なくないそうで、痴女に構ってほしいだけのエロ男は心根がⅯじゃないからSMとしての関係は成立しないと言う。
確かに、『Jail』にはSMのえの字も知らない素人がよく紛れ込んでいた。飲み会の二次会で偶然たどり着いたのか、いやらしいことをしてくれるお店と勘違いして、私も失礼な言葉を浴びせられたことがあった。
そのお姐さまいわく、Ⅿが痛いことに身を委ねたり、拘束されることを許したりするのはSを信頼しているからで、そもそも愛と信頼がないとSMの関係は築けないとのこと。確かに、プレイの域を越えてケガをするかもしれないし、縄で縛ったせいで体調が悪くなるかもしれない。
つまり、愛し合っていない者同士のSMは成立しづらいということ。酔って何となくヤリたくなりワンナイト……がほとんど起こらないのだ。
まあ、アブノーマルな性癖を明かして関係を持つようになるには、それなりに仲良くならなければ難しいわけで。初対面でいきなり「私、Ⅿなんです」と暴露することはない。
相手の人となりを知った上で性癖を打ち明け、相手が受け入れてくれるなら関係は成立する。SMとは性欲ありきではなく、パートナーシップありきの世界。
そう考えたら、私は自分の曖昧な性癖が一気に解読できるようになった。9歳年上の憧れの君が言ったように、私には確かにⅯ性が備わっている。でもSであれば誰でもいいわけではなく。「この人じゃなきゃイヤだ」という何となくの条件がある。
尊敬できるところがあり、人として聡明であること。
自立した精神と生活と仕事を持っていること。
『Jail』でもSを自称する人と話せば5分とかからずジャッジできた。
普通の恋愛でも似たような選別を誰もがするはずだけれど、SMの世界でそれは「この人になら身も心もすべて捧げて構わない」という忠誠の誓いにつながる。感覚としては、武将木曽義仲の愛妾、巴御前の愛に近いかもしれない。ただ従順なだけの犬じゃない。同じ犬でも私は愛想の良いチワワではなく、一人きりのご主人様に仕えるドーベルマンなのだろうと。
だから、Ⅿでありながらも私はSに間違われることが多い。自分では自覚があまりないけれど、ツンツンした態度を取っているとしたら、それはSだからではなく、興味のない男を寄せ付けたくないのだと思う。
そんな私は、ある有名占い師の先生にこう言われたことがある。
「あなたが好きになれる男性はそうそういない」
……恋に恋して現実世界にはいない木曽義仲を夢見ているという意味か。あるいは、この人こそ!と惚れて愛してもドⅯ変態しかいないのか。
何にせよ、私は今も立派な独り者。ドーベルマンの魂を備えた巴御前はひたすら薙刀を振り回し、恋の空振りを繰り返している。
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