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現代では、老若男女それぞれのニーズに応じた下着が売られており、現代人は子供の頃からパンツをはじめとした下着をはくことに慣れています。

一部、家では裸でいたい・パンツははきたくないという嗜好の人を除いては、基本的にパンツをはくものとして教育されてきた人が多いでしょう。

しかし、古い時を生きた古代人と呼ばれる人々は、そもそも下半身を下着によって保護する概念がなかったともいわれています。

この記事では、昔の人がどのように下半身を保護していたのか、あるいはそのような概念があったのか、下着がない時代の人類史についてご紹介します。

世界的に古代では「ノーパン」が主流だった

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人類の下着の歴史は、古代メソポタミアにまでさかのぼれば、紀元前3,000年頃がスタートとされます。

シュメール文明時代、壁画に書かれている女性が身に着けていた、パンツのように見える腰布が始まりではないかといわれています。

また、紀元前2,700年頃の古代エジプトでは、シェンティと呼ばれる腰布が着用されていました。

シェンティは、革ひもをベルトとして腰布を固定しており、この頃は上着と下着の概念もなかったようです。

つまり、下着というよりは衣類として着用されており、実質的に古代人はノーパンが主流だったといえるでしょう。

その後、シェンティまたは薄い布の上に、別の衣服を身に着ける習慣が生まれ、これが下着の始まりということになります。

日本の場合はどうだったのか

古代をどの時代までと定義するのかにもよりますが、少なくとも江戸時代よりも前の時代、日本人は「下着を着用しなければならない」という意識そのものが薄かったといわれています。

貴族に関しては、平安時代の女官が袴代わりに身に着けていた「湯巻」が下着に近いですが、これは白い巻きスカートのような見た目をしています。

御湯殿と呼ばれる宮中の風呂で働くのに必要な衣類で、基本的には袴の代用品として用いられていましたから、やはり当時の人々が下着として認識していたかどうかは分かりません。

つまり、下着がない古代において、下半身を保護するという概念は皆無に等しい状況だったのです。

少しずつ下着の「概念」が広まっていく

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時代が進むにつれて、先述したシェンティなどの上に、別の衣服を身に着ける習慣が生まれました。

ここから、少しずつ世界的に下着に近い概念が広がっていきます。

紀元前7世紀の古代ギリシアにおいては、ブラジャーのような胸帯「アポディズム」が、胸を保護するために用いられるようになります。

その後も、女性の胸を保護するための衣類が開発され、紀元前8世紀の帝政ローマにおいては、布でパットのように詰め物をする「ストロピウム」が用いられていました。

下半身に関しては、アンダースカートに近い形状の「カスチュラ」などが着用されています。

どちらかというと、海外では下半身よりも「胸」に着目するものが多く、バストやウェストを締め上げて胸の膨らみをおさえる「コルセット」は有名です。

やっぱり下半身はノーパン

中世になると、海外では女性もスカートをはくようになりますが、スカートの中に何かをはくことはなく、基本的にはノーパンだったといわれています。

もちろん、当時も衛生上の問題・乗馬時の陰部露出などは懸念されていたため、一時期「カルソン」というステテコのような見た目の下着が生まれました。

しかし、当時は女性が男性の服装を真似るのは「悪魔的」とされていたため、残念ながら一時で廃れてしまいました。

貞操帯が使われていた時代もある

中世ヨーロッパで、ある意味「下半身を保護」するという点で有名なものに、貞操帯があげられます。

貞操帯とは、金属・皮革などによって作られたベルトのようなもので、下着を身に着けるように下半身に装着します。

主に女性の不貞行為、または他者から襲われるのを防ぐため、戦地に赴く兵士たちが妻の下半身に装着させたという説が知られています。

下着が広まるのは近代以降

洋服を着ていた欧州でも、現代に通じる下着が広まるのは、なんと近代以降です。

きっかけになったのは、1789年のフランス革命といわれ、テレーズ・カバリュスという女性が身体を締め付けるような宮廷ファッションに異を唱えたことが契機となりました。

その結果、緩やかでゆったりとした装いが流行し、腰から足首までを覆うズボン上の「パンタレット」をはく習慣が生まれ、丈は次第に短くなっていきます。

その後も面積はどんどん小さくなり、1938年に用いられていた子供向け下着「プチ・バトー」という短めの下着が大人の間にも広まり、このデザインが現在までショーツとして使用されています。

日本における近代の下着の動き

パンツ・下着という概念がなかった日本でも、江戸時代になると褌(ふんどし)をしめる習慣が一般化するようになります。

いわゆる現代の「ふんどしパンツ」的なデザインではない、腰に巻く「湯文字」という下着も登場し、性別・年齢・仕事・地域などによって色に違いが見られるようになりました。

その後明治維新を経て、洋服を着るのが一般的になると、ある事件をきっかけに女性が下着をつける習慣が生まれました。

「白木屋火災事件」として知られるこの事件は、日本初の高層ビル火災といわれており、クリスマスツリーの装飾修理の際に火花が飛び散り着火したことで起こりました。

消防隊は救助に駆け付けましたが、当時着物を着ていて下着をつけていない女性たちが、地上に降りるのを恥ずかしがって墜落死したそうです。

この事件以来、白木屋では女性店員にズロースを身に着けることになり、国内でもパンツをはくよう運動が起こっています。

現代の一般的な傾向と性癖

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当然ながら、現代では多くの人が下着をはいており、上下ともにインナーを身に着けることは当たり前になっています。

一部の南国など、合理性を優先して下着をはかない地域もありますが、基本的には下着は「はくもの」と認識している人が多数派といえるでしょう。

そのような中、下着そのものに興奮するような性癖も生まれており、ラブグッズとしてきわどいランジェリーが売られることも珍しくなくなりました。

いわゆるアダルトショップだけでなく、量販店や通販などでもTバッグやコスプレ用など、セクシーなランジェリーが手に入るようになったのです。

大人のおもちゃ・ラブグッズなどに比べると、比較的チャレンジしやすいのが特徴で、フリーサイズのものもあります。

もちろんBeyourloverでも、たくさんの種類のランジェリーをご用意していますので、お気軽にお買い求めください!

まとめ

現代のような下着がない時代、古代に暮らす人々は、意外にも下半身を保護する意識が薄かったようです。

その後、中世・近代と時代が進むにつれて、少しずつ下着は進化していき、人々の意識も変わっていきました。

現代では、多くの人が下着の重要性を理解しており、下着に対する愛着・性癖も生まれるようになりました。

今後も、下着のデザインやニーズは、時代とともに変わっていくものと推察されます。